辨財天

辨財天

辨財天目次

  1. 辨財天について
  2. 辨財天の見どころ
  3. 辨財天付近
  4. アクセス
  5. Tiktokで情報を見る
  6. instagramで情報を見る
  7. Googleで口コミを確認
  8. Twitterで情報を見る

辨財天について

辨財天は七福神の中で唯一の女神で、お名前の通り財を司る神様で辨天さんと呼ばれ親しまれています。

全国にお祀りしている神社仏閣があり、羽衣をまとい琵琶を奏でている見目麗しいお姿で描かれているところから妙音天とも呼ばれ、転じて音楽の神様として、更には技芸文芸の神様として芸能人からも信仰を集めています。

 辨財天のご利益をざっと紹介すると、

・金運・財運開運

・技芸上達(芸能・音楽等の芸事のご利益)

・縁結び・恋愛成就(縁切り)

・学業成就(弁才)

・立身出世

・勝運・武運長久

・国家鎮護

など、ありとあらゆるご利益があると言っていいほどです。

辨財天は元々ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、インドでは水を司る神様として崇拝されてきました。これはサラスヴァティーというインドにある川を神格化したものといわれています。

日本各地の水辺には必ずと言ってよいほど辨財天をお祀りしているお社がありますが、水を司るインドの神様としての名残かも知れません。

ヒンドゥー教におけるサラスヴァティーは、肌は白く白い衣をまとい4本の腕を持ち、2本の腕には数珠と本、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持っています。現在の辨財天の姿と、とてもよく似ています。

仏教とともに中国経由で日本に入ってきたときには、腕が4本あるサラスヴァティーにもう4本腕を加え8本の腕だったようです。一面八臂といい一つの顔に8本の腕があり、手には弓・矢・刀・矛・斧・長杵・鉄輪・羂索の8つの武器を持っていますから、戦いの神として勝運・武運長久を祈願した時の権力者や戦国武将からの信仰が厚かったことも納得です。

辨財天は戦国時代よりはるか以前、既に奈良時代には信仰が始まっていたそうです。権力者にとって、重要な神仏だったことが伺えます。

奈良時代に建設された東大寺法華堂(三月堂)に安置されている辨財天は、手の8本ある立像で日本最古の辨天像として極めて貴重なものですが、戦いの神というには優しくふくよかな顔立ちの美しい仏像です。

平安初期から末期にかけては、治水を学んだ僧侶が日本各地で活躍したことも関係し、日本の津々浦々、泉、島、港湾の入り口などに、辨財天がお祀りされました。

弁天島や弁天池など地名として残っているところもあり、いずれも海や湖や川などの水に関係した場所です。

例えば、遣唐使として中国に渡り日本へ真言密教を伝えた空海は、高野山を開くときに、一番の課題であった水の確保のため、水の流れの要所に弁財天をお祀りしました。

空海は密教を広げる旅をしながら、人々の苦しみを救うために数多くの土木事業を行い、井戸掘り技術も普及させたので、空海が作ったとされる弁天像が日本各地にあります。

このように辨財天は水に深く関係する神様なので、同じく水に親和性の深い龍や蛇は辨財天の化身とされています。しかしインド・中国の経典には見られないので日本独自のものと言えます。

これは辨財天の信仰が広まるにつれて、豊穣をもたらす「頭は老人・体は蛇」とされる宇賀神と習合し、一面二臂の姿で弁財天の頭の上に宇賀神が乗った宇賀辨財天像が造られ信仰対象となる流れの中でのことでしょう。

このように蛇と密接な関係のある辨財天ですので、お参りは「巳の日」が縁起の良い日とされています。

「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」という真言を、7回唱えるとご利益があがるそうなので、「巳の日参り」とセットで行ってみると金運アップになるかも知れません。

先に紹介したように辨財天は、財運から勝負運や芸事まで幅広くご利益があるので、なんでもお願いできますね。大河ドラマでおなじみの鎌倉幕府を築いた源頼朝も、妻の政子も辨財天のお社を建立しています。

戦国時代・安土桃山時代あたりまでは戦いの神としての色合いも濃く、天下統一を果たした豊臣秀吉も大黒天・毘沙門天・辨財天が合体した三面大黒天を信仰していました。

時代も下り江戸時代になると、徳川家康の政治顧問だった天海大僧正によって七福神信仰が広がりました。

大僧正は家康公に対し「公はこの乱世を治め、天下泰平の基を築く福徳を備えている」と述べ、合せて七福神のもつ七つの福徳を書いて見せたところ、家康はとても気に入りすぐにお抱え絵師の狩野探幽に命じてこの七福神の画を描かせました。

この絵が、今日私たちが目にする七福神の最初の姿となり、七福神信仰とともに辨財天信仰も広がっていきました。

神仏習合という日本独自の考え方で仏様でもあり神様でもあった辨財天は、明治政府が神仏分離を推し進めたことにより、日本書紀に登場する海の神・市杵嶋姫命(イチキシマヒメのみこと)に変えられました。今でも市杵嶋姫命という名前の辨財天像が安置されている神社も多いそうです。

辨財天の見どころ

行野浦漁港の釣り

辨財天の祀られている尾鷲市宮島は、陸と防波堤で繋がっているので歩いて行けます。こんもりしたお椀を伏せたような小さな島は近づくと圧倒的な緑が迫ってきて、お参りする者の気持ちが引き締まります。

古い石の階段を上っていくと立派な石垣があり、辨財天の可愛らしい赤い祠が現れます。静かな湾の小高い島から、漁の安全をそっと見守っているようです。

残念ながら祠の中は見ることはできませんが、お供え物も上がっていることから、地域の人たちが管理していることが伺えます。

祠の後ろにも石垣があるので、古い時代にはこの上に大きなお社があったのかも知れないと妄想が膨らみます。さらに妄想を進め仏閣があったと仮定すると、明治の神仏分離により建物が壊され仏像だけ残されたか、或いは仏像も持ち出されたかもしれません。

そうだとすると、石垣の大きさに比べ、現在ある祠のアンバランス感も腑に落ちるような気がします。果たして真相はいかに。

さて、辨財天が祀られている宮島は、行野浦という地名です。もとは紀勢線九鬼トンネルの北口付近、現在は「元行野」と呼ばれる土地に集落があったそうです。よい漁場ではあったのですが荒波をまともに受ける場所だったため、波の穏やかな現在地に集落ごと引っ越しをしたそうです。

万治2年(1659年)から移住を始め、元行野から断崖沿いにある小道を通いながらこの地を開墾し、最後の家の移住が終わったのが大正の中ごろだとか。なんと260年かけた移住だったのです。この小さな祠の辨財天も、長い時間住民の移住を見守ってきたのかも知れませんね。

辨財天付近

行野浦漁港

辨財天がお祀りされている宮島周辺・行野浦漁港は人気の釣り場スポットです。防波堤でアオリイカ、アジ、グレ、マダイ、クロダイ、カサゴなど、色々な魚が釣れるようで、休日ともなると賑わっているそうです。

駐車場もありますが10台程度しか停めるスペースがありませんので、釣りを楽しむには早めに行ったほうが良さそうです。漁港前には行野宮島公園があるのでトイレもありますが、水洗トイレではないので女性が入るにはかなり厳しそうです。

この地域はダイビングスポットとしても人気のエリアで、ソフトコーラルというサンゴの美しさに「どハマリ」する人が続出しているとのことです。

海の目の前にダイビングショップがあり、その横にすぐポイントがあるので、初心者からダイビングを楽しむことができます。ソラスズメ、ベラ系、ハゼ系が多いポイントなので、初めて潜る人はそのカラフルな魚たちに感激しますよ。

この地域は人口71人という非常に小さな集落で観光地ではありません。したがって商店も無く、一番近いコンビニ「ファミリーマート おわせ南インター店」まで車で12分ほどかかります。トイレも含め、かなり不便だと考えたほうがよいです。

地域に住む人々の暮らしになかにお邪魔するといった思いが必要ですね。少し足を延ばすと「熊野古道センター」があり、世界遺産・熊野古道の魅力を知ることができます。

1階の映像ホールでは、ハイビジョン映像で熊野古道の歴史や景観を常時放映しているので、世界遺産・熊野の美しさを堪能できるとともに、見どころもわかるので、これから熊野古道を歩く方は必見です。

この辺りまで来ると「夢古道の湯」など日帰り温泉があったり、「シェ・ママン ルクプルカフェ」というイタリアンレストランがあったりします。

「夢古道の湯」は洋深層水を使用したお風呂です。温泉ではありませんが、保湿効果が高く美肌効果が期待されます。「シェ・ママン ルクプルカフェ」は予約しておかないと、なかなか入れない地元の人にも人気のレストランだそうです。

旅は「お風呂と食事」で評価が決まるところも多いので、数少ないお店がそろって評判がよいというのはラッキーです。いずれにしても車がないと移動は難しいと心得ておく必要があります。

アクセス

公共交通機関はかなり不便なので、綿密な計画が必要です。一番近い駅が大曽根浦駅(徒歩33分)ですが、無人駅なのでタクシーがあるかどうか不明ですので、尾鷲駅前から路線バスかタクシーを利用するのが便利だと思います。

タクシーの利用料金は3000円を超えると予想されます。路線バスは本数が少ないのでどのバスに乗ることができるのか、よく調べなくてはなりません。

●名古屋方面から

・JR名古屋駅(JR特急ワイドビュー南紀)→JR尾鷲駅(約2時間30分)

・名古屋(名鉄バスセンター)→尾鷲市病院前(約3時間)

●大阪方面から

・近鉄難波駅(近鉄特急)→JR松阪駅(JR特急ワイドビュー南紀)→JR尾鷲駅(約3時間10分)

自動車を利用した場合ですと、名古屋方面からだと2時間半弱、大阪方面からだと3時間強かかります。

【名古屋方面から】

・東名阪自動車道→伊勢自動車道→紀勢自動車道→尾鷲北IC→尾鷲市

【大阪方面から】

(名神高速道路もしくは西名阪自動車道を利用)

・名神高速道路→新名神高速道路→伊勢自動車道→紀勢自動車道→尾鷲北IC→尾鷲市

・西名阪自動車道→天理IC→(名阪国道)→伊勢自動車道→紀勢自動車道→尾鷲北IC→尾鷲市

 いずれにしても、しっかり計画を立てて途中で宿泊をするなど、余裕のある行程を作ったほうが無難だと思います。

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